2012年06月16日

小学校の頃の話。


母がばぁばとじぃじと話し出すと何を話しているのか全く分からない。
時たま笑いながら話しかけられても何を言われているのか分からない。
母の通訳で会話するのに疲れると(気まずくなると)いつも外へ出た。
二枚橋駅前の通りをトボトボ歩く。人も車もほとんど通らない。
国道4号線を渡って歩いて行くと学校があってマツボックリ拾いながら中へ。
人のいない方へ進んでゆくと古い家。何回も来ているトコロ。




  下ノ

  畑ニ

  居リマス

  賢治




・・・ いつも畑にいるのか? ばぁばみたいに。






  ☆






小学3年生の時、生まれて初めて手にした文庫本。

方言のリズムや空気は慣れ親しんでいますから
賢治作品のコトバはスンナリとココロに響きます。




ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、
横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居《お》りました。


よだかの星。




虔十は口を大きくあけてはあはあ息をつきからだからは
雨の中に湯気を立てながらいつまでもいつまでもそこに立ってゐるのでした。


虔十公園林。




ココロに突き刺さったお話。

生まれて初めて“死”について考えさせられました。


それからはポチポチといろんな作品やら資料やら、折に触れて読んでいます。

それから、賢治を敬愛するいろいろな方々ともお会いすることもありました。

この前も、賢治の世界を素敵に表現した芝居を観ました。

120616_01.jpg






その前に観た『月にぬれた手』との連続公演、300の『天使猫』です。

120616_02.jpg






言うこと無しの素敵な作品。 ・・・ なぶん、自分が観たいと思う作品を強く望みます。





とし子(宮澤トシ)のイメージは全く違った。


「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」


もっともっと素朴なヒトだと思っています。





 (*^_^*)






posted by ファクト君 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々生活のエスキース
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