「不寛容」なココロに打ち勝つ為には、つまるところ信念を持たないとダメですね。
「イントレランスの祭」
虚構の劇団(
http://kyokou.thirdstage.com/ )
先月始め、ぷらっと立ち寄った芝居小屋、シアターサンモール。
訪れたのは、こけら落し公演以来。でも、席に座ると記憶が蘇ります。
つかこうへい氏も岸田今日子さんも、今はもういません。 (T_T)
さてさて、お芝居の演目、「イントレランス」って言ったら、
やっぱり、D・W・グリフィス監督の映画「イントレランス」?
仮設足場の俗称「イントレ」の語源にもなっている有名な映画だもんね。
って、まぁ、映画とは関係ないだろうと、予備知識も持たずに観ました。
テーマは、「イントレランス(不寛容)」そのものを、いろいろな関係やカタチで
提起しながら、どこまでもピュアに答えを追い求めていくストーリー展開。鴻上芝居。
最後の落しドコロで「策を立てる」のは、「信念」なのか「独りよがり」なのか ・・・
ちょっと違和感が残った。
微妙な問題を真っ正面から見据えられる様に、常にバランスを取り続ける演出。
・・・ 多分、ファクト(自分)が観た回の出来が、ちょっと悪かったのかな?
微妙に間合いが狂うところが幾つもあって、残念でした。そのせいかも。
でも芝居を観ながら、いろんなコト考えさせられました。
「希望」を持てば「勇気」が湧く。
勇気があれば「臆病」にならずにすむ。
臆病でなければ「不寛容」にはならない。
じゃあ、どーしたら「希望」が持てるのか?
それには「生きるコトに興味を持つ」ことは大切。
それは自分がヒトである以上、最低限「ヒトに興味を持つ」、
それ以上に「命に興味を持つ」。
結局は「ヒトに興味を持つ」ことが「不寛容」にならずにすむ答えなのか?
「不寛容になる」コトの反対が、決して「寛容になる」コトではなく
「ヒトに興味を持つ」ことであれば、それを支える「信念」も必要 ・・・
なんてコトをぐるぐる考えていました。
(@_@)
posted by ファクト君 at 06:26|
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