小さい頃(小学校の低学年?)独り留守番の時は、家中のタンスの扉や引出しを
開けて回るのがクセだった。
ガラスビンの中に閉じ込められた様な寂しさが嫌で抜け穴を探していたのだろうか。
開ける度に漂う ナフタリン と 家族 と ハレのお香 の匂いでココロ落ち着いた。
タンスの向こう側に楽しい(寂しくない)世界が広がっている。
扉を開け続ければ、きっといつか現れる。
幼い頭ではそれ以上のコトを考える必要もないから、いつも繰り返していたのか?
・
・
・
・・・ 根っこの部分は、多分ソンナ様な感覚なのかな。( ・・・ 違うかも)
「この部屋のドアの向こう側(社会)は自分を認めてくれる世界」
ソレを静かに激しく望んでる。
モノゴトを確りと考えられる頭の分、負のループへ陥ります。
( 希望絶望 肯定否定 ネガポジ 平静激情 ・・・ )
どーなんでしょう?
「ひきこもり側」から見える「生活の風景(世界観)」って、どんなモノなのか。
・
・
・
今月観た芝居(http://www.parco-play.com/web/play/hikky/index.html)。
久し振りのパルコ劇場!

吹越満さんの演技に(悔しいけれど)ヤラレタ。
涙流しながら観てしまった。
チャン・リーメイのメチャクチャ存在感ある顔立ちとスタイルに釘付け。
確かに「黒木」役は当たり役ですね。
そして「黒木」って、やっぱり主人公(ひきこもり)のもう一人の自分だよね。
・・・ということは、ひきこもりをしている人って
いつも自分の喉元にナイフを突きつけて生きているのだろうか。
ソレって、ある意味「青春」?
だとしたら、40代でも青春真っ盛り?
いや、茶化しているワケではありません。
モノゴトはいろいろな見方があるから ・・・
(*^_^*)